「一人前ではないものの人権~日本国憲法とマイノリティの哲学」解説編


昨日公開したレポートサンプル「一人前ではないものの人権~日本国憲法とマイノリティの哲学」の解説をします。政治系のレポート課題では、課題図書が難解だったり、論文として形にまとめるのが難しかったりします。

1 課題図書の全体像の把握

まず、課題図書が提示されたら、全体像を把握しましょう。今回のテーマは、「アイヌ民族、在日韓国・朝鮮人、先天性身体障害者、ハンセン病患者、宗教的少数者の人権」ですね。

全部読んでテーマを把握することがまず無理だけど・・・」そんな声も聞こえてきますが、「目次とはじめの部分」を読み飛ばしていませんか?とりあえず目次に出てくる単語を拾い読みするだけでも、何について話をしようとしているのかはわかります。

こうした課題図書の要約の際に大事なのは、インプット完了後にアウトプットするのではなく、読みながらどんどんアウトプットすることです。

「なぜ?そんな器用なこと・・・」と思った方は、まだまだこれからです。全部読み終えたあとにレポートをまとめようとすると、最初の方の内容を忘れてる経験はありますよね?また最初から読み返していたら、レポート課題の完成にさらに時間がかかってしまいます。ですから、印象に残ったことや大事だと思ったことは、箇条書きでもいいからどんどん書き出していきましょう。

2 各章の内容把握とアウトプット

全体像を把握したあとは、一個ずつまとめていく作業になります。

アイヌ民族、在日韓国・朝鮮人、先天性身体障害者、ハンセン病患者、宗教的少数者

と、順番に何が書いてあったかまとめます。3000字のレポートを一気に書き上げるのは難しいですが、「1つの項目について500字程度にまとめる」のであれば、難易度はぐっと下がります。また、一冊を丸々読まなくても、1つの章を読みこんでまとめるのであれば、負担も減ります。

3 最後に感想やまとめを書く

とは言え、難しい課題図書をまとめるのは大変ですよね?筆者の後書きやおわりにを参考にしましょう。その意見に対して「僕は賛成だ」「私は納得できない!」という意見や感想があれば、だいぶ書きやすくなります。賛成なら筆者の論拠を補足する身近な事例を見つけるだけでも効果的です。反対意見も、同様な手法をとれます。

以上の方法を用いれば、難しい課題図書を指定されたレポートも比較的負担なく書き上げられます。

 

 

 

 

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レポートサンプルを公開します。今回は、政治をテーマにしました。

今回のお題は、課題図書「一人前でない者の人権」を要約しながら意見を述べるです。政治や法律、人権を卒論のテーマにされる方にとって、日本におけるマイノリティに着目するのも論文のオリジナリティを出すうえで効果的な方法の1つです。
アイヌ民族、在日韓国・朝鮮人、先天性身体障害者、ハンセン病患者、宗教的少数者といった様々な「不利な立場の少数者」は、「法の支配」ではなく、「管理的指令の支配」に服し、不利益を被ってきた。しかし、彼らが直面する不条理な現実を扱った研究は存在しなかった。その背景には、日本国憲法をめぐって、「有利な立場の多数者」である「われわれ」と、「不利な立場の少数者」である「かれら」という潜在的な分類が行われていたことが考えられる。
「かれら」は「多様」な存在であり、日本国憲法によって権利も保障されている。それにも関わらず「不利な立場」であるのは、「法」が憲法の規定と両立せず、「ズレ」や「ねじれ」というコミュニケーションの「歪み」が存在してきたからである。
アイヌ民族は、「土地」をめぐるコミュニケーションの「歪み」によって、人権侵害状況に置かれることになった。1898年の北海道旧土人保護法や戦後の自作農創設特別措置法などによって、彼らは「法の支配」ではなく、「管理的指令の支配」に服すことになった。これらの法律は、アイヌ民族の理解を得る努力もなされずに実行されたため、公布性要件、明晰性要件、服従可能性要件、態度随伴条件等に違反する。その根底には、注視されてこなかった価値観の違いがある。日本人にとって土地は「財産」であったが、アイヌ民族にとっては、「アイデンティティの基盤」であった。こうした違いや日本人の無関心から「土地」をめぐるコミュニケーションの「ズレ」が生まれ、アイヌ民族に対する人間疎外が深刻化したのである。
在日韓国・朝鮮人は、「国籍」をめぐるコミュニケーションの歪みによって、深刻な人権侵害状況に置かれることになった。サンフランシスコ講和条約は「日本の侵略主義の結果を侵略前の状態に戻す」理念であったが、結果的には「日本国籍を剥奪し、その権利が否定され、差別的処置が合理的である状態」に戻すことになった。
先天性身体障害者は、「優生」と「環境」をめぐるコミュニケーションのズレによって人間疎外に置かれることになった。環境基本法が「現在および将来の人間が健全で恵み豊かな環境の恵沢を享受するとともに人類の存続の基盤である環境が将来にわたって維持されなければならない」という理念を掲げているが、「先天性身体障害児童等の不良な子孫が出生しないように」という優生保護法の価値前提と結びつくことで、先天性身体障害者への差別につながっている。本来ならば、「環境保護運動に携わる人々の主観的善意が、先天性身体障害者等の排除という権力志向に転じていくこと」を断ち切るために、「障害者でいる権利」や「病弱である権利」を承認した上で、環境保護法や環境保護運動の理念や目的を彼らの視点から問い直すことが必要なのである。
ハンセン病患者は、「愛国心」をめぐるコミュニケーションの「歪み」によって、人権侵害状況に置かれた。ハンセン病患者は、「日の丸の汚点」という「国辱」意識と富国強兵政策によって、撲滅が図られた。その根底には、愛国心の観点から民族浄化を目指す優生思想があった。らい予防法には「ハンセン病患者の医療を行い、その患者個人の福祉を図る」という理念があるが、「らいを予防することをもって、公共の福祉を図る」ことに置き換えられ、病気を阻止するのではなく、弱いハンセン病患者を社会的に撲滅することになった。
宗教的少数者は、首相の靖国参拝をめぐる訴訟で、コミュニケーションのねじれによって人間疎外に陥った。大阪地裁判決では、慰謝料の請求という形式面の背後に違憲問題があったが、両者の矛盾によって斥けられた。福岡地裁判決では、形式的には被告が勝訴するが、裁判官が「応答可能性としての責任」を果たすべく、憲法解釈をめぐる蛇足部分で原告を利することになり、議論となった。こうした宗教的少数者は「国賊」として扱われ、現在では国旗・国家法が制定され、彼らの良心の自由や信教の自由が侵されることになっている。
以上の者や、知的障害者や認知症患者のような「主体」または「人格」として「一人前」でない者にも、日本国憲法は「人権」と「生存する権利」を保障するものと考えるべきである。
しかし、「土地」「国籍」「優生」「愛国心」を「管理する者」が、「一人前」でない「管理される」者を抑圧してきたのには、「民主主義の促進」「侵略主義の否定」「人間の進歩」「公共の福祉」の美しい理念を示す言葉が実態を隠蔽してきたからである。こうしたコミュニケーションの「歪み」を正していくためには、「合意なき共生」を「共生なき合意」に先行させる必要がある。
さらに、日本国憲法自体を政治権力と人民という「管理的指令」に改正しようという動きもある。そのため、北海道旧土人保護法やらい病予防法等の廃止に目を奪われるのではなく、「われわれ」は常に政治権力を批判的に見続けなければならない。

以上が、レポートとなります。テーマもかたいものなので、レポートの雰囲気もややかためになっています。レポートの解説は次の記事でお伝えします。

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