論文代筆サンプル「教育カウンセリング」


論文代行・卒論代行の書ける屋です。今回は論文代筆サンプルとして、「教育カウンセリング」を取り上げます。レポート課題は「学校カウンセリングとは何ぞや?」を想定しています。

学校カウンセリングは、人間性信頼を基本原理としながら、青少年の不安感や混乱感を除去し、不安感や反抗刊を変化させ、消極的態度や否定的態度を積極的態度や肯定的態度に変えさせるものである(1)。また、青少年たちに望ましい人間関係を体験させ、人間不信感を人間信頼感に変える態度変容や行動変容に関する新しい原理や方法を開発する教育活動である。そのため、学校カウンセリングは、現代社会の全領域で必要とされるものであるが、特にこの活動が学校教育の中で青少年の人格変容を目的とした活動としてもっとも強く必要とされるのである。

現代社会は、科学技術の発展を中心としながら現代人に物質的に豊かな、便利な生活をもたらした。しかし、その反面子どもたちの生活を困難にする多くの矛盾や混乱、欠陥をももたらした(2たとえば、子供たちは自らの将来に大きな不安を抱き、大人に対して不信感を発達させている。その結果、生活に意欲がなくなり、理由のない反抗や否定的態度を発達させてしまっているのだ。また、生活全般が都市化し、人間的な親密なコミュニケーションがなくなったため、子どもたちが望ましい仲間意識、社会性、協調性を発達させる環境が失われてきているのだ。さらに、情報社会という現代社会の中で、子どもたちは大量情報伝達の一方的な受け手となり、情報過多になり、意識の多様化、価値観の多様化のために悩まされることになるのだ。

かつては、「教育」と「勉強」は同じものとしてとらえられていた。教育とは、必要な知識や技術を子供たちに効果的に教え込むことであり、彼らに効果的な学習活動を持たせることである。しかし、現代では教育とはもっと幅広い活動と考えられるようになった(3それは、人間形成に関する種々の活動である。教育の領域には、学校教育のほかに家庭教育や社会教育がある。学校教育の中でも教科学習のほかに課外活動や学級活動などがあり、人間の全面的発達ということでは、このような活動も大切な教育活動であるとされているのである。

>(以下ポイント解説)

(1)どんなレポートでも、最初に課題内容に対する答えを言い切ってしまうとラクになります。最初の文章に合わせた話を書きならべていけばいいという作戦です。「一言で答えを言うなら何だろうか」と常に考えてみましょう。

(2)現代社会の有名な特色ですね。実はこの表現、すごく便利です。技術や経済の成長だけが私たちの幸せを向上させるものとは限らないという論点です。この点については議論の余地がありますし、様々な論文で視点も異なり、意見も対立しています。ですが、論文やレポートを書く際には「こういう視点もあるよ」ということで知っておくと便利です。

(3)たいていのテーマで無難にレポートの評価を稼ぐために便利な言葉です。「幅広い」。あとは、「意義が高まっている」。大人の事情になりますが、社会的にニーズが高まれば、研究の意義も出てきますし、研究費も獲得しやすくなります。そういった大人の方々の気持ちをしっかり汲みとれば、先生方の研究を盛り立てるような内容は喜ばれます(もちろん内容をしっかり書くことも大事ですよ!)。

以上が今回の論文代筆サンプルとアドバイスです。

論文代筆が上手だとバレるか不安です~室町時代の論文サンプルを事例に


論文代行・卒論代行の書ける屋です。最近よくお電話で言われることの1つに「プロの人に代筆してもらうと、うますぎて私が書いたとはだれも思ってくれないのではないか・・・」という質問があります。実は同じ不安を抱えてお電話される依頼主様はたくさんいらっしゃいます。だいたい依頼される方の80%は、「あんまり上手に書きすぎないでほしい」とリクエストされます。

書ける屋の論文・レポートサンプルは様々な難易度で調整していますが、論文を書きなれていない方からすると、やや敷居が高い印象を持たれているのも現実です。

そこで、今回はちょっとたどたどしい感じのサンプルを用意しました!

サンプル課題「室町時代についてまとめなさい」

以下にサンプルを記載します。
室町幕府のしくみは鎌倉幕府のしくみとほぼ同じで、執権の代わりに管領をおいた。管領は北条氏のように一族だけではなく、細川氏、斯波氏、畠山氏の守護大名とよばれる一族が交代でついた。
しかし、室町幕府は自分の領土をあまり持っていなかったため、入ってくる税金も少なく、弱かった。
守護大名は、南北朝時代の動乱を通じて地頭などの武士を家来にして自分の領地にしていった武士である。細川氏、山名氏、大内氏、赤松氏などが有力な守護大名で、後の守護大名の対立は応仁の乱の原因ともなる。
この時代の農民は、神社などに集まって、寄合を開いて、村の自然や用水路の管理、お祭り、年貢の納入、村のルールなどを話し合うようになっていた。ここで決められたルールは村の全員が守らなければいけないものだった。もしそれを破ると、村の他の人から罰を与えられるように、厳しいものだった。
こういったルールは、「自分だけが良ければいい」というものではなくて、「村のみんなで協力して生きていこう」という考え方だったからだと思う。
寄合では、ほかにも、農民たちが武器をもって領主や幕府に年貢を軽くするように求めたり、借金を帳消しにする徳政令を求めたりもする相談もここで行っていた。
そのため、この時代には、一揆と呼ばれるものが多く起こった。
たとえば、1428年の正長の土一揆では、農民だけでなく、近江の馬借たちも農民も加わった。
1485年の山城の国一揆では、山城の国人らが守護の畠山氏を追い出し、その後に
8年間も自分たちだけで政治を行った。
1488年の加賀の一向一揆では、加賀の一向宗の信者が、守護の冨樫氏を倒し、その後約百年間も、農民と武士と僧が国を支配した。
このように、人々は、自分たちの村は自分たちで守って、自分たちで政治をする必要があると考えて、実際にそのとおりに動いた。
1467年に、8代将軍足利義政のときに、9代目の将軍を誰にするかで意見が分かれ、守護大名の細川勝元と山名宗全が東軍と西軍に分かれて、京都をで戦争を起こした。11年間続いたこの戦いが、応仁の乱である。応仁の乱によって、京都は焼け野原になり、また幕府のお金もなくなった。そして、幕府の力も権威もなくなった。
応仁の乱が終わったあと、足利義政は、息子の足利義尚に将軍をゆずった。義尚は、将軍の権力を回復をするために、自分に従わない近江守護の六角高頼をたおすために出陣した。しかし、相手が強く、1年以上も戦ったが、1489年に病気で死亡した。翌年に義政も亡くなってしまった。
10代将軍となった足利義材は、六角高頼を近江から追い払うことに成功した。
そして、幕府の権威に頼っていた守護大名の権威もなくなったから、守護大名の家臣や部下だった武士が領地を支配し始め、大名になっていった。また、前に述べた一機も、守護大名の権威がなくなったことが原因である。
こうして、室町幕府は衰退し、日本は戦国時代になっていった。各地に領国を形成した大名が、応仁の乱の後、守護大名を倒して領国の支配権を獲得していった。家臣団の組織化・分国法の制定・検地・城下町の建設・商工業の保護統制などを行って領国統治、軍事力強化に努め、領国の拡大を求め激烈な闘争を行った。

(サンプル、以上)

ちょっとたどたどしかったり、「文章が苦手な人がなんとかがんばって調べてまとめたんだな」という雰囲気が出ているように思えませんか・・・?

私たち執筆者は、論文のプロなので、当然きっちりした論文を短期間で仕上げることは慣れています。でも、依頼主様にとって重要なのは、「私でも書けそうなものをちゃんと書いてくれるか」ですよね?ですから、あまりにも堅苦しい論文を納品することは基本的に避けています(もちろん「教官が厳しいから格調高く書いて欲しい!」という要望を頂けば、堅苦しい論文を代筆します)。

では、どうやって難易度を調整するのか。

実は、依頼主様とのメールでやりとりさせていただく間に、句読点の打ち方や接続詞の使い方、誤字脱字がどのくらいあるのかといった部分を見させて頂いています。文章のクセは人それぞれあるので、完璧に模倣するのは難しいですが、大まかな傾向はマネすることができます。

また、これまでに書かれた文章やレポートも添付頂くと、そこでの文章のクセも反映して執筆さえて頂いております。以上になりますが、こういった見えない部分での取り組みによって、不安を少しでも和らげられるような原稿を納品させていただいております。

 

 

 

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